広島高等裁判所岡山支部 昭和31年(う)21号 判決
所論の要旨は、本件旋盤は差押えられているとの表現はしていないが、他に入れてあるというて法律上瑕疵があることを告げ実質的な売切りは困ると主張したのに、谷井は会社に対する自己の責任解除をひたすら念願し、他に入れてあるとの意味を探索もせず、無理に被告人に売買契約書を作成させたにすぎないものであるから、被告人には谷井を欺罔する犯意もなければ、谷井に誤認もない。従つて又被告人に横領の犯意もなかつたのであるから、被告人は無罪であるというのである。
そこで原判決によると、被告人は本件の旋盤が原判示のように扶桑相互銀行によつて差押えられておるのに拘らず、このことを秘して共信特殊鋳造株式会社に対する債務の支払猶予を求めるため同会社専務取締役谷井道太と之が売渡担保契約をした所為を横領罪と詐欺罪とに認定処断しておることは原判決書に明かである。
もとより自己の物と雖も差押えに係る物を処分することは刑法第二百五十二条第二項の規定によつて横領罪になることは云うまでもないが、その差押物件を詐欺の手段に供した場合に於ては横領罪と詐欺罪とが同時に成立するかどうかは頗る疑問である。
即ち自己所有の物件ではあるが差押えに係るものを真実処分する意思を以て処分した場合には右のように横領罪は成立するとしても、相手方に対する処分行為自体は一般的には何等の犯罪をも構成しないことは云うまでもないところではあるが、差押物件を真実処分する意思がないのに、その意思があるように装うて処分するが如き行為をした場合に於ては真実の処分行為はそこには存在しないのであるから、そこには領得の行為もなければ、領得の意思もなく、従つて横領罪の成立する余地はないものと解すべきである。
本件に於ては原審及び当審で取調べた証拠によると、被告人は前記会社に対する債務の支払猶予を得るため原判示の如く昭和三十年二月十一日同会社専務取締役谷井道太の要求に応じて、本件旋盤を代金五万円で売渡し、同年三月五日まで被告人に於てそれを預る旨の証書を作成し、実質に於ては売渡担保契約に関する書面を作成して同人に交付したので、右谷井は被告人が右の書面のとおりの契約を締結して呉れたものと信じて右三月五日の期日まで債務の支払を猶予したものと認められる。もとより同人は右の旋盤が差押えられていて処分出来ないものであるとか、右の契約書が単に形式的なものにすぎないというような事実を知つていたと認むべき証拠は存在しない。従つてこのように被告人がその真意を秘して前記のような書面を差入れるに於ては谷井ならずとも、その相手方はその書面に記載してあるような契約が真実成立したと信ずるに至るであろうことは当然予見し得るところであるから、被告人に谷井を欺罔する犯意がないとはいえない。又所論は被告人は債務の現存を認めておるのであるから、何等の利益をも得ていないというのであるが、債務の支払の猶予を得ることは財産上利益であることは明かであるから、欺罔手段を弄して不法に債務の支払の猶予を得た場合に於ては刑法第二百四十六条第二項に規定する詐欺罪に該当することについては多言するまでもない。
従つて原判決が被告人の所為を詐欺罪と認定した点は正当である。
然しながら被告人は右の旋盤が差押えられておるとの表現はしていないが、他に入れてあつて谷井の要求には応じられないとの旨を以つて断つたのであるが、同人がきき入れてくれないから、一応形式的には右のような書面を作つて同人に交付したものの、真実その書面のような契約をする意思はなかつたといい、又現実に於ても依然としてその占有を継続し、之を移転した事実もないのであるから、被告人に前記旋盤を処分する意思があつたとも認められなければ、領得の意思も認められない。
要するに前記のような被告人の所為について一方に詐欺罪の成立を肯定する限り他方横領罪の成立は否完すべきであり、詐欺罪と横領罪とが同時に成立するということは論理的に矛盾する観念といわざるを得ない。
従つて原判決が一方に於て詐欺罪の成立を認めながら、他方に於ては横領罪の成立をも認め、両者を一個の行為で二個の罪名に触れるものとして刑法第五十四条第一項前段第十条を適用して処断したのは明かに事実を誤認して法令の適用を誤つたものであつて、此の結果は判決に影響を及ぼすことが明かであるから、原判決は此の点に於て破棄を免れない。
論旨は結局に於て理由がある。
よつて刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十二条により原判決を破棄し、同法第四百条但書に従い更に判決する。
(罪となる事実)
被告人は昭和三十年二月十一日前記肩書の住居で共信特殊鋳造株式会社専務取締役谷井道太から取引残代金四万九千七百九十一円の支払を請求された際、株式会社扶桑相互銀行が被告人に対して有する債権に基き執行吏間賀権三郞に委任して昭和二十九年十月十六日差押をし、同執行吏から被告人が保管を命ぜられていた被告人所有の八尺旋盤一個を前記債務の支払猶予を求めるため、右差押の事実を秘し、被告人の完全な所有物であるように装い、且真実売渡担保とする意思もないのに、同三十年二月十一日代金五万円で共信特殊鋳造株式会社に売渡すと同時に同会社から被告人が同年三月五日迄之を預かる趣旨の書面を差入れ真実売渡担保契約を締結したように装うて谷井をして其の旨誤信させ、同年三月五日まで右債務の支払を猶予させて以つて不法に財産上の利益を得たものである。
(裁判長判事 宮本誉志男 判事 浅野猛人 判事 菅納新太郎)